交流活動
新陰流の祖・上泉伊勢守の聖地を訪ね
新陰流の祖・上泉伊勢守の聖地を訪ね、その偉業を研究しようと二十九日、山形県米沢市から上泉伊勢守の末孫、上泉一治さん(五六)ら十三人が前橋市上泉町の伊勢守ゆかり寺を訪れ、同市内の剣道史研究家、諸田政治さん(九十)らと交流を深めた。
上泉さんは、関が原の戦い(一六〇〇年)で主君・上杉影勝の命を受け最上領(山形県)に出陣、戦死した伊勢守の孫・主水泰綱(もんどやすつな)の子孫。
米沢市内の剣道場・米沢恒武館後援会(吉川博則会長)が創立35周年を記念して、研修会を企画した。一行は伊勢守ゆかりの寺といわれる同町の西林寺で、諸田さんの説明を受けた後、伊勢守に関連する書や石碑などを見学。
上泉さんは「皆さんに感激していただき思った以上の成果がありました。米沢でも新陰流を後世に伝えられるよう力を尽くしたい」と話していた。
上泉伊勢守顕彰会 宝蔵院流槍術との交流会
宝蔵院流槍術は、「上泉伊勢守顕彰・生誕500年祭実行委員会」(渡辺善衛会長)一行37人の奈良及び柳生の里視察に合わせ、交流会を開催した。
同顕彰会は、群馬県前橋市の有識者が地元出身の上泉伊勢守信綱(のぶつな)師生誕五百年(2008年)の顕彰事業を企画・実施するため昨年8月に結成され、講習会やシンポジウムなど諸事業を展開中と聞く。
上泉伊勢守師は戦国時代の兵法家で、新陰流を創始した。そして、上泉師が奈良訪問の際には、柳生宗(むね)厳(とし)(石舟斎)師と宝蔵院胤栄が共に弟子入りして剣の指導を受けた。後に宗厳は相伝を伝授され、胤栄は槍術に特化して宝蔵院流槍術を創始した。宝蔵院流槍術にとって上泉師は師匠にあたる。
さて2月9日、顕彰会一行は柳生の里からの帰途、習心館道場に立ち寄られた。習心館道場は私の自宅内にあり、45年に亘って毎朝の坐禅、夕の剣道を指導している。
交流会では、上泉伊勢守師と柳生石舟斎、そして宝蔵院胤栄との関わりや歴史、さらに宝蔵院流槍術の構えや、基本技を説明した。鎌槍を活用して相手の攻撃を止める合理的な技には会員から感嘆の声があがった。続いて、宝蔵院流槍術に伝わる型を演武。顕彰会の会員は終始熱心に観覧下さった。
また、会員への体験のために稽古槍を用意し、槍を持っていただいた。柳生視察帰りでお疲れではないか心配したが、元気に先程見た「構え」「突き」「引落とし」技等を試す会員と、お世話の伝習者達によって寒い道場であったが温かく和やかな交流が続いた。
最後に、顕彰会と宝蔵院流槍術との合同記念写真を撮影し、名残を惜しみながらも再会を約しお別れをした。
本年は柳生石舟斎没後400年、来年2007年は宝蔵院胤栄没後400年、そして、2008年は上泉伊勢守生誕500年と、上泉師に関わる武道各流派が節目の年を迎える。
宝蔵院流槍術においても、胤栄没後400年の平成19年を意義ある年とすべく、記念諸事業を鋭意企画検討中である。互いにご縁のある者達が知恵を出し、手を携え協力し合って、伝統の武道文化の発展に寄与し、上泉師に繋がる由緒正しい流儀を後世に守り伝え広めるためにさらに一層の精進を続けたいと考えている。
宝蔵院流高田派槍術
第二十世宗家 鍵田忠兵衛