2008(平成20)年度活動報告
1 新陰流の祖 上泉伊勢守生誕500年記念式典
出生地前橋で剣聖たたえる
新陰流の創始者で剣聖と呼ばれた上泉伊勢守(一五〇八-?)の生誕五百年 祭が五月十日、生誕の地、群馬県前橋市上泉町で開かれ、銅像の序幕をはじめ 記念講演と演武などが披露され、小雨にもかかわらず県内外から訪れた千人余 りのファンが伊勢守の功績をたたえました。
実行委員会では式典にあわせて『剣聖 上泉伊勢守生誕五百年記念誌』(A 4版、九十六㌻)を三千部、県内の小中学校に配布した漫画『前橋が生んだ剣 聖 上泉伊勢守物語』(同四十㌻)を一万部作成。このほか上泉伊勢守の銅像図 をあしらった手ぬぐいなどを作成し、式典当日の参加者に無料配布しました。
生誕五百年祭は午前に法要と銅像の序幕式、午後から記念式典を開催しました。
上泉伊勢守(もしくは嫡男秀胤)の墓がある同町西林寺で法要を行った後、上泉伊勢守生誕の地、上泉城址にある自治会館前庭で銅像の除幕式が執り行われました。制作された銅像は上泉城址の本丸と二の丸の境界に当たる傾斜地に南向きに建てられました。本体の高さ約二㍍十五㌢、重さ約四百㌔。黒御影石の台座には上泉一治さんが揮毫した「剣聖 上泉伊勢守之像」の銘板が埋め込まれています。台座などを含めると地上からの高さは三㍍七十五㌢。北側に隣接して建てられました。上泉伊勢守の生涯を刻んだ記念碑も含め、千人を上回る市民らの浄財によって設置されたものです。
除幕は上泉一治さん(五九)=米沢市=、柳生宗家、地元上泉町の自治会長で同実行委員会の渡辺善衛会長をはじめ、行政、議会関係者らの手でお披露目。
白い布が引かれると会場から一斉に歓声が上がり拍手に包まれました。この後、同町獅子舞保存会よる獅子舞や、上泉伊勢守の物語を歌った新作八木節などが披露されました。
銅像は伊勢守が考案した袋竹刀を両手に提げ、新陰流の最も基本の形である「無形の位」で構える立ち姿。子孫の顔立ちや『影目録』に描かれた図などを参考に半年余りかけて制作しました。製作に当たった中学教諭で日本彫刻家協会会員の桑原秀栄さん(四〇)=前橋市=は、「柳生宗家をはじめ柳生会の人たちに大変世話になりました」「不思議にこの仕事をしていて疲れを感じなかった。夢の中で伊勢守と何度も会い、伊勢守に教わりながら創りました」。銅像の名板を書いた上泉一治さんも「素晴らしい出来栄えですね。地元の皆さんの熱い思いを感じました」と感慨深そうに語りました。
午後からの記念式典は約八百㍍離れた前橋市立桂萱中学体育館に会場を移して行われました。柳生宗家の特別講演や新陰流の演武が行われるとあって、用意された六百五十席は開演後間もなく満席になり、壁際も立ち見をする人で埋まりました。
ステージではアトラクションとして五団体約二十人が八木節、詩吟、歌謡曲などを披露。いずれもこの日にあわせて上泉伊勢守にちなんで作られた新作で、会場から盛んな拍手を浴びていました。
式典には実行委員会関係者のほか、群馬県副知事、前橋市長、柳生宗家、上泉一治さん、安部米沢市長、地元選出の国・県・市議会議員らが登壇。それぞれに剣聖の功績をたたえ、交流を深めました。実行委員会は銅像のミニチュアを五体作り、群馬県、前橋市、柳生宗家、上泉一治さん、西林寺に寄贈、それぞれ目録を手渡しました。
続いて柳生宗家の特別講演と新陰流演武が行われました。特別講演の演題は「流祖上泉伊勢守と柳生新陰流」。柳生宗家は「上泉伊勢守生誕五百年を迎え、生誕の地において多くの地元の皆様により盛大に記念祭が開催されますことは、流祖の創出した新陰流を今日まで継承してきた私どもにとりましても大変喜ばしいことであります」とあいさつ。新陰流の歴史や技の核心をなす「転(まろばし)」「活人剣」「西江水(せいごうすい)」や「真実の人」の系譜などについて詳しく説明しました。
演武では宗家をはじめ柳生会会員六人が「三学円之太刀」「試合勢方」「燕飛」の三つの型を披露。ステージが狭いため体育館の床を約十㍍四方に仕切っての演武となり、会場を訪れた人たちは仕切り線ぎりぎりまで近寄り、カメラやビデオを構えながら身を乗り出して見入っていました。
2 真実の人
500年祭で発刊された、記念誌の巻頭に、柳生新陰流兵法第22世宗家 柳生耕一厳信氏のコメントがありますが、そこで述べている「仁義礼智信」の五常について、詳しく説明いただいている資料をいただきました。真実の人の持つ条件を大変わかりやすく解説してあり上泉伊勢守に興味のある人ない人それぞれにとって、学ぶべきものが多いと思いますので、柳生耕一氏の許しを得てここに掲載させていただきます。